アフェクト理論の系譜と現代思想における実践:情動の政治学を問い直す
はじめに:情動の復権とアフェクト理論
近年、哲学や社会科学の領域において、「アフェクト(affect)」という概念が注目を集めています。これは単なる感情(emotion)や感覚(feeling)に留まらない、より根源的な身体的・非認知的な力や可能性を指し示すものであり、現代思想における主体性、権力、社会構造、そして倫理の理解を根底から問い直すものとして議論されています。本稿では、アフェクト理論の主要な系譜をたどり、その核心的な概念を解説するとともに、現代思想におけるその実践的意義、特に情動の政治学を問い直す視点について考察します。
1. アフェクト理論の哲学的系譜
アフェクト理論は、特定の学派や思想家によって確立されたものではなく、多様な哲学的源泉を持つ複合的な潮流として理解されています。
1.1. スピノザの情動論
アフェクト理論の源流としてしばしば参照されるのが、バールーフ・デ・スピノザの『エチカ』における「情動(affectus)」の概念です。スピノザにとって情動とは、身体の活動能力(コナトゥス)を増大させたり減少させたり、促進させたり抑制させたりする身体の変状(affection)と、同時にその変状の観念を指します。情動は個体の力能(potency)を直接的に規定し、身体と精神の並行的な変化として捉えられます。このスピノザ的な情動の理解は、意識的な感情よりも根源的な身体的・関係的な「力」としての情動を強調する点で、現代のアフェクト理論に決定的な影響を与えています。
1.2. ニーチェと生の哲学
フリードリヒ・ニーチェの「力への意志」やディオニュソス的生の肯定も、アフェクト理論の系譜に位置づけることができます。ニーチェは、理性や意識の背後にある身体的な衝動や非合理な力、すなわち情動的なエネルギーこそが、人間の生の根源にあると考えました。彼の思想は、情動が単なる受け身の反応ではなく、創造的かつ破壊的な力として主体を形成し、価値を生成するという視点を提供します。
1.3. ドゥルーズとガタリの情動概念
現代のアフェクト理論に最も直接的な影響を与えたのは、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの思想でしょう。彼らはスピノザを再解釈し、アフェクトを「非人間的な力であり、事物の間を流動する強度」として捉えました。彼らにとってアフェクトは、主体や客体、言語や表象に先行する、身体と身体、出来事と出来事の間に生じる「生起(becoming)」の領域です。特に『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』では、「器官なき身体」や「リゾーム」といった概念とともに、アフェクトが社会的な構築物や権力関係を生成・変容させる根源的な力として論じられています。
2. 現代アフェクト理論の展開と主要な論者
20世紀後半から21世紀にかけて、アフェクト理論はフェミニズム、ポストコロニアリズム、批判理論、新唯物論といった多様な領域で展開され、独自の論理と実践的応用を見出しています。
2.1. セアラ・アハメドと情動の文化政治学
セアラ・アハメドは、アフェクトがどのようにして社会的な価値や規範を構築し、特定の身体や集団に付着していくのかを分析しています。彼女は、情動が固定されたものではなく、常に移動し、他者との関係性の中で「張り付く(stickiness)」ことで意味や価値を帯びると論じます。例えば、特定の集団に対する嫌悪感や恐怖といった情動が、どのようにして人種差別や異性愛規範といった社会的な構造を強化するのかを、具体的な現象を通じて鮮やかに分析しています。彼女の議論は、情動が単なる個人の心理状態ではなく、社会的な「文化政治」の核心にあることを示しています。
2.2. ブライアン・マッスミとアフェクトの強度
ブライアン・マッスミは、ドゥルーズの思想を深く継承し、アフェクトを「知覚と感情の間」に位置する「強度(intensity)」として捉えます。アフェクトは、言語化される前の身体的な反応や、意識される前の漠然とした感覚であり、主体が環境と相互作用する瞬間に生じる潜在的な力です。彼は、アフェクトがメディアや消費社会においてどのように操作され、身体に直接作用することで特定の行動や欲望を喚起するのかを分析し、現代社会における情動の非認知的な側面を強調しています。
2.3. その他の主要な論者と潮流
- ローレン・バーラント: 「残酷な楽観主義(cruel optimism)」といった概念を通じて、情動が如何にして個人と社会を結びつけ、特定の生活様式や政治的状況を維持するのかを分析しています。
- ジェーン・ベネット: 『魅惑する物質(Vibrant Matter)』において、アフェクト理論を新唯物論と結びつけ、人間以外の物質や非生物にも「力能」や「エージェンシー」が存在し、情動的な影響を与え合う可能性を提示しています。
- 新唯物論との関連: アフェクト理論は、人間中心主義的な視点から脱却し、物質や環境、技術といった非人間的な要素との相互作用の中で、情動がいかに生成・変容するかを考察する新唯物論と深く関連しています。
3. 情動の政治学:アフェクト理論が問い直すもの
アフェクト理論の登場は、情動を単なる心理学的な現象としてではなく、政治的な力学の一部として捉え直す視点を提供しました。
3.1. 感情と政治の結びつき
伝統的に、政治学は理性的な議論や利益の計算に基づいて行われるものとされてきました。しかし、アフェクト理論は、政治的決定や集団的行動の背後には、恐怖、希望、怒り、連帯感といった情動が深く関与していることを明らかにします。例えば、ポピュリズムの台頭や社会運動の勃興は、特定の情動が共有され、増幅されることで社会的な動員がなされる過程として分析され得ます。
3.2. アフェクトの操作と抵抗
現代社会では、メディア、広告、ソーシャルネットワークなどを通じて、情動が意図的に操作される機会が増大しています。恐怖や不安を煽り、消費行動を促したり、特定の政治的意見を誘導したりするアフェクトの利用は、民主主義や個人の自律性を脅かす可能性があります。アフェクト理論は、こうした情動の操作のメカニズムを解明し、それに対する抵抗の可能性を探る重要なツールとなり得ます。例えば、抑圧的な情動の連鎖を断ち切り、異なる情動的コミュニティを構築するための戦略が議論されています。
3.3. 主体性の再考
アフェクト理論は、自律的な理性的主体という近代的な人間像を問い直します。主体は、意識や理性だけでなく、常に身体的・情動的な影響に晒され、他者や環境との関係性の中で生成されるものとして捉えられます。この視点は、傷つきやすさ(vulnerability)や依存性といった、これまでの哲学で軽視されてきた側面に光を当て、倫理やケアの新たな地平を開く可能性があります。
4. 課題と今後の展望
アフェクト理論は大きな可能性を秘める一方で、いくつかの課題も抱えています。
- 概念の曖昧さ: 「アフェクト」の概念は多様な文脈で用いられ、その定義が曖昧であるとの批判も存在します。感情や感覚、情動といった関連概念との区別をより明確にする必要性が指摘されることがあります。
- 還元主義への懸念: 情動の身体的・非認知的な側面を強調するあまり、意識的な思考や言語、文化的な構築の重要性を過小評価するのではないかという懸念もあります。
- 規範的側面: 情動の力を認識する一方で、それが倫理的・政治的にどのような規範的意味を持つのか、善悪の判断をどのように行うのかといった問いへの明確な回答は、まだ十分に提示されているとは言えません。
しかし、これらの課題は、アフェクト理論が今後の哲学研究において、より深掘りされるべき多様な論点を含んでいることを示唆しています。例えば、AIや神経科学の発展は、情動の生物学的基盤と社会的構築の関係性を再考する機会を提供し、アフェクト理論と科学的知見との対話はさらに活発になるでしょう。また、気候変動やパンデミックといったグローバルな危機に直面する現代において、集団的な情動がいかにして社会変革の原動力となるのか、あるいは抵抗を阻むのかを分析する枠組みとしても、その重要性は増すと考えられます。
終わりに
アフェクト理論は、哲学が長らく理性や意識に与えてきた特権を問い直し、身体、情動、そして非人間的な力のダイナミズムに目を向けることで、現代思想に新たな視点をもたらしました。スピノザからドゥルーズ、そして現代のアハメドやマッスミに至る系譜をたどることで、私たちは情動が単なる個人の内面的な経験ではなく、政治的・社会的な力を生成し、変容させる根源的な要素であることを理解できます。
この議論は、現代社会における情動の操作や動員に対し、批判的な視点を提供するだけでなく、異なる情動的結合を通じて新たな共同体や政治的実践を構想する可能性をも示唆しています。読者の皆様は、アフェクト理論が、現代における政治、社会、そして自己の理解を深める上で、どのような問いを提起しているとお考えでしょうか。そして、この情動の政治学を問い直す試みは、今後の哲学研究においてどのような方向へと進んでいくべきだとお考えでしょうか。