スペキュラティブ・リアリズムの核心:現代哲学における実在論の復権と課題
現代哲学における実在論の再考:スペキュラティブ・リアリズムの登場
現代哲学の潮流を俯瞰する際、20世紀後半から支配的であった「相関主義(correlationism)」、すなわち人間と世界の相関関係の枠内でしか実在を捉えられないという見方は、長らくその中心を占めてきました。しかし、21世紀に入り、この人間中心主義的な視点に疑問を呈し、人間から独立した実在、あるいは「思惟されない実在(the unthought)」への関心を再燃させる新たな哲学運動が台頭しました。それが、2007年のゴールドスミス・カレッジでの会議を契機に注目を集めた「スペキュラティブ・リアリズム(Speculative Realism)」です。
スペキュラティブ・リアリズムは、カント以来の哲学が、いかにして世界を「人間にとっての」世界として構成してきたかを問い直し、思考と存在、主体と客体の根源的な結びつきを前提とする相関主義からの脱却を目指します。この運動は、ポストモダニズム以降の哲学が抱えていた、相対主義や人間中心主義といった課題に対し、新たな形而上学的探求の可能性を提示しようとするものです。本稿では、このスペキュラティブ・リアリズムの主要な論点と、それを構成する主要な思想家たちの試み、そして現代哲学に与える意義と残された課題について考察します。
スペキュラティブ・リアリズムの主要な潮流と「相関主義」批判
スペキュラティブ・リアリズムは、単一の統一されたドクトリンではなく、相関主義批判という共通の出発点を持つ複数の異なる思想潮流の集合体です。主要な論者とその特徴を以下に概観します。
クェンティン・メイヤスー(Quentin Meillassoux):非相関的実在と偶有性の徹底
メイヤスーは、その主著『有限性の後(After Finitude)』において、相関主義が実在を常に人間の思惟との関係性においてしか捉えられない限界を厳しく批判します。彼は、人間が存在する以前の事象(例えば、地球の誕生や宇宙の起源など)を指す「固有性(ancestrality)」という概念を提示し、これらが人間の思惟から独立して実在していたことを主張します。
メイヤスーの哲学の核は、「徹底的な偶有性(radical contingency)」です。宇宙の法則や論理は必然的ではなく、偶有的なものであり、人間が存在しない世界においても、それはそれとして存在するというものです。彼の思想は、数学や物理学といった厳密科学と哲学の新たな接点を探る試みとして注目されています。
グラハム・ハーマン(Graham Harman):オブジェクト指向存在論(OOO)
ハーマンは、相関主義が実在を主体との関係性でしか捉えられないという点に加え、実在を人間の認識によって「解体」してしまう傾向も批判します。彼は、あらゆる存在者を「オブジェクト(object)」と捉え、これらのオブジェクトが人間から独立して存在し、さらにそれらのオブジェクト同士の関係性においても、互いに完全にはアクセスできない「隠れた実在」を持つと主張します。これが、彼の提唱するオブジェクト指向存在論(Object-Oriented Ontology, OOO)の核心です。
ハーマンのOOOは、個々のオブジェクトが持つ独立性と、それらが相互に影響し合いながらも本質的な部分を隠蔽し続けるという「四重のオブジェクト」の概念を通じて展開されます。彼の哲学は、環境哲学、美学、デザインといった多様な分野に応用され、その影響力を広げています。
レイ・ブラシエ(Ray Brassier):哲学の自然主義化と虚無主義的帰結
ブラシエは、スペキュラティブ・リアリズムの中でも特に「自然主義的」な傾向が強い思想家です。彼は、哲学が科学的知識と整合的であるべきだと主張し、伝統的な人間中心主義的な哲学を、科学が明らかにする冷徹な宇宙の現実から目を背けていると批判します。
彼の哲学は、特に人間の意識や主観性が持つ特権性を否定し、存在の根源的な無意味さや虚無を直視することの重要性を強調します。このアプローチは、一部で「虚無主義的」と評されることもありますが、同時に哲学が現実の厳しさに直面する覚悟を促すものとして、議論を呼んでいます。
イアン・ハミルトン・グラント(Iain Hamilton Grant):シェリング哲学の再評価
グラントは、ドイツ観念論の哲学者であるフリードリヒ・シェリングの再評価を通じて、自然哲学の重要性を強調します。彼は、カント以降の哲学が自然を客体として操作可能なものと見なしてきたことを批判し、自然それ自体が持つ生産的・創造的な力への関心を促します。
グラントの思想は、単に人間が世界を認識するのではなく、世界そのものがどのように生成し、展開していくのかという「プロセス」としての存在論を志向します。
現代哲学における意義と課題
スペキュラティブ・リアリズムは、現代哲学にいくつかの重要な意義をもたらしました。
- 人間中心主義からの脱却: 長らく支配的であった人間と世界の相関関係という枠組みを問い直し、人間から独立した実在への関心を再燃させました。これは、環境問題やAIといった非人間的なアクターが重要性を増す現代において、新たな倫理的・存在論的視座を提供します。
- 形而上学の復権: 分析哲学における言語論的転回や大陸哲学における現象学・ポスト構造主義の隆盛の中で、一時期その重要性が薄れたかに見えた形而上学的な問いを、現代的な視点から再構築しようと試みました。
- 新たな学際的対話の促進: 科学(特に物理学や宇宙論)との対話、あるいはアートや建築、デザインといった分野との横断的な議論を活発化させました。
しかし、同時に多くの課題や批判も提起されています。
- 認識論的困難: 人間にアクセスできない実在を主張する際、その「アクセスできない」という主張自体が人間の認識の枠組みによって語られているという認識論的なパラドックスを抱えているという批判があります。
- 倫理的・政治的含意の希薄さ: 実在論的な探求に重点を置くあまり、現代社会が直面する具体的な政治的・倫理的問題(不平等、不正義、抑圧など)に対する実践的な寄与が不明確であるという批判も存在します。
- 用語の難解さと専門性: 複雑な概念や専門用語が多く、一般の読者や他分野の研究者にとってアクセスしにくい側面があります。これは、学際的な対話を阻害する要因ともなり得ます。
- 伝統的哲学との連続性: スペキュラティブ・リアリズムが主張する「新しさ」が、どこまで伝統的な実在論や唯物論と異なるのか、その連続性と断絶が十分に明確でないという議論もあります。
今後の展望と議論の問いかけ
スペキュラティブ・リアリズムは、現代哲学において新たな地平を切り開く試みとして、その登場以来、様々な議論と批判に晒されてきました。しかし、その根底にある、人間中心主義を超え、非人間的存在や実在そのものへの関心を深めるという問いかけは、今後も現代哲学の重要なテーマであり続けるでしょう。
この潮流は、単なる学術的な流行に終わるのか、それとも哲学がそのあり方そのものを変革するような本質的な「転回」となるのか。また、その実在論的な探求が、環境危機、AIの進化、新たなテクノロジーがもたらす社会変革といった現代の具体的な課題に対して、いかに貢献しうるのか。これらの問いは、今後の哲学的な議論を深める上で不可欠な視点となります。読者の皆様は、このスペキュラティブ・リアリズムが提示する実在論的視座について、どのような可能性や課題を見出すでしょうか。